どんな人でも成長できる
橋の向こう側にいるような人でありたい
私の仕事
「サラダ売りから柔道整復師へ」
私は27歳。今年から分院長を務めていて、
弊社に就職する以前は今の職種とは全くの別物でした。
その職種というのは高校の時からバイトをしていた百貨店でサラダを売っていました。
とはいえ今の接骨院で行う施術業務と全く違うか?と思うとそうではないと私は思います。
百貨店でサラダを売ってお客様に喜んでいただくのも、
接骨院で施術を通して患者様に喜んでいただくことも、
売り物は違えど「人に喜んでいただく職業」という点で根本は一緒なのです。
私たちの仕事は患者様の痛みや不安を改善して元気になってもらうことですからね。
ストーリー
「情熱」とは無縁だった。
今は少しカッコつけてこんなこと言えてますが、
実はストレートに就職できませんでした。
柔道整復師国家試験に1度落ちてしまったのです。
当然、試験に落ちたので皆と同じように働けませんでした。
でも自分の性格状そのことで「悔しい」とかという感情はありませんでした。
仕事に対して「情熱」がなかったのでしょう。
ですから過去の自分と今の自分を比べると全く違うなと思います。
今は私が情熱を持って仕事に取り組む姿勢を
どんどん見せていかないとなと思います。
そうでないとスタッフたちが気持ちよく仕事ができませんからね。
それとスタッフたちに言われてしまいますから。
「院長は何を目指しているのか分かりません」と。笑
とても素直に言ってくれるので助かります。
ですが、私は院長ですからそこはビシっと行動していきたいです。
これは当たり前ですがスタッフの時って特別な
リーダーシップを発揮する必要がありませんでした。
リーダーシップとうよりはどちらかというとサポーターに近い役割でしたから。
院長先生と周りのスタッフとの架け橋的存在となることで、
院全体の雰囲気がよくなるように意識していました。
メッセージ
目標への「伴走者」
院長になると架け橋的存在ではなく、
イメージでいうと橋の向こう側にいるような人でなければなりません。
つまり私はスタッフの皆んなを橋の向こう、
いわゆる目標へと導くための「伴走者」なのです。
そのために治療技術だけじゃなくあらゆる
マネジメントを学び続けたいと思います。
そして、これから入社される方へのメッセージを言うのであれば
「私みたく情熱が持てなかった人でも大丈夫!」と言いたいです。
何故なら、私でも今こうして分院長としてやっていけてるのですから。
そうなれたのも大勢の仲間が周りにいるおかげです。
決して簡単ではないですが日々の課題に真摯に向き合い、
もっと患者様に貢献できるような組織になっていきたいです。